蘭 光生 生贄マドンナ
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目には目を
生贄マドンナ
肉の牙
人魚の入江
究極のエクスタシー
(C)K. Ran
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目には目を
1
「田上、あの社会科のスガッペが結婚したの、知ってるか?」
「へえ、あの須賀が……」
田上潔の心に、かすかな傷口がひらき、同時に、なにか熱い黒いものが、ドクドクと噴きだしてきたような気がした。
「それが、スガッペにはもったいない美人の奥さんでさ。この前遊びにいったんだが、やさしくてきれいで、品がいいときている。あのカッペの須賀のどこがいいのかと思ったらさ、奥さんも須賀と同じ町の女性なんだそうだ。同じ九州人同士だから、ま、あんな先公でも惚れられたんだろうな」
中学時代の友人の中川は、電話のむこうで、のんきにしゃべりつづけている。
「須賀の妹はどうしたんだ?」
「一緒に暮らしているよ。おれたちより一つ下でさ、いまは高二だ。彼女もきれいになってよ。これまたあんなカッペにどうしてこんな妹が、っていう感じ。美人二人に囲まれて、奴もますますご機嫌でさ。学校でも相変らず暴力をふるってるらしいぜ」
潔の心の傷が、とうとうパックリと口を開けた。どす黒いモヤモヤが、ますます広がってくる。中川は、潔のそんな心のなかの動揺におかまいなく、話をつづけた。
「おれ、奴が顧問をやっている柔道部にいたじゃん? ずいぶん、ぶんなぐられたもんだぜ。ま、いまじゃ、それが愛の鉄拳だってことに気づいてるけどさ。奴の家に遊びにいったときも、そういってやったら、奴もすごく喜んでさ。この調子だと、ますます調子にのって、部員をぶんなぐるかもな。でもよ、田上はおとなしいし、柔道部にも入ってなかったからよかったよな。スガッペのビンタの洗礼を受けてないから……」
じょうだんじゃない、と潔は思った。
おれが、須賀になぐられたことがないだろうって、か? 奴のビンタのおかげで、おれの体は一生一人前ではなくなったんだ。それを知っているのは、奴と、おれと、おれのおふくろだけだが……。そう、校長も知っていたが、なにもしてくれないばかりか、口どめまでしやがった。
「そうそう、寺腰、どうしてるか知ってるか? 彼も高校にいかないで、どっかに就職したんだよな。田上のうちの近所じゃなかったか? 須賀がなつかしがってよ。彼も柔道部で、相当須賀にしごかれたからね。あいつは見込みがあったんで鍛えたんだが、高校に行ってれば、けっこういい線までいけたのになっていってたよ」
「寺腰か。彼は住込みでどこか大手のスーパーの社員になったはずだな。おれも全然、会ってないよ。そういえば、カッペの家は、昔のところか」
「ああ。松戸の郊外にいい家建てて住んでいたろう? 二階建の建売住宅。あのころは、おふくろさんと妹と一緒だったが、結婚と同時に、そのおふくろさんが故郷の兄貴の家にもどり、いまじゃさっきいった三人暮しだ。なんでも、須賀の実家は旧家で、ちょっとした資産家らしいな。だから、奥さんも、いいとこのお嬢さんをもらえたんだろうよ。まったく、おれたちとちがって、うまいことやってるよ」
中川からの電話が終わってから、潔はすっかり考えこんでしまった。ドロドロしたどす黒い噴出物が、だんだんかたまってきて、一つの思念に凝集しつつあった。
須賀隼人。
まさに、九州隼人の代名詞みたいなこのキザな名前を、須賀はいつも自慢し、同時に、柔道三段の腕前もおおいに活用していた。
東京の大学を出てすぐに、田上や中川が通学していた葛飾区の中学の社会科の教師になった。下町で、あまり柄のよくない中学が多いが、なかでも潔のいた中学は校内暴力が絶えず、いつも問題を起こしているので有名だった。
須賀隼人は色の浅黒い、一見豪放磊落を気どった、いかにも九州男子らしい教師だったが、大学四年間を東京で送ったにもかかわらず、いつも九州男子たるべしをモットーとしていたせいか、根っからの東京っ子ばかりが住んでいる下町のその中学生からみると、まるで粗野でセンスのない田舎っぺ丸出し、というイメージしか受けなかった。
だから、就任早々、彼についた仇名は「スガッペ」。苗字の須賀と、田舎っぺの意味のカッペとを一緒にした仇名であった。九州の田舎じゃモテるかもしれないが、洗練された都会っ子には、とても鼻もちならないカッペであった。
だから、生徒の人気はいつもいま一だったが、本人はけっこう生徒に人気があると信じているらしく、休みだというと、HRの生徒や自分が顧問をやっている柔道部の部員たちを、江戸川ひとつ隔てた松戸の郊外にある自宅に招待するのが楽しみだった。
田上潔も、中二のときに彼の担当するクラスに入ったために、一度、友人たちと遊びにいったことがあった。家の広さもさることながら、ひどく印象に残ったのは、チラリと挨拶に出てきた彼の妹の面影であった。そのとき、彼女は中一だったはずである。色黒の兄貴のスガッペとは正反対の色白の少女で、チラリと伏目がちに頭をさげた風情は、まるでひと昔前の乙女チックな少女のようであった。
学校では女生徒をたくさん見なれているはずなのに、田上潔は、なぜその美香にひどく心を奪われ、胸がときめいたのか、自分でもよくわからなかった。
その美香が、もう年ごろになって、ますます美しくなっている!
中川からの電話でそれを聞いたとき、彼もまた年ごろになり、夜ごとの獣欲の吐け口に困っているという事実が、一気にその“計画”に結びついてしまったのだった。
(いままでのスガッペへの貸しは、妹の体で払ってもらおう!)
電話を切ってから、潔は受話器をあてていなかった左耳を、そっと掌でおさえて、心のなかでそう呟いた。
その左耳には鼓膜のかわりに脱脂綿が詰めこまれている。須賀隼人のビンタが潔の左耳の鼓膜をふきとばしたのだった。
それは、潔の中三のときだった。社会科の授業中、潔は卒業したら自動車の修理工になろうと決心していたので、もともと大好きなこともあり、就職などに備えて、車の専門誌を、社会科の教科書のかげにかくして読んでいた。
突然、耳もとでスガッペの罵声がとび、
「田上! なに読んどるっ!」
それと同時に、左耳に彼のぶ厚い右手が炸裂した。
キーンという金属性の炸裂音が潔の左耳から脳天に突き刺さった。ビンタの風圧で鼓膜が破れたのだった。
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