官能小説販売サイト 渡辺ひろ乃 『午後3時の女たち』
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渡辺ひろ乃   午後3時の女たち

目 次
色違い

午後3時の女たち
 官能作家ユキノ
 処女 受付嬢リエ
 隣室 主婦 武藤
 官能作家ユキノ

(C)Hirono Watanabe

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 色違い


「ヒロミ君、この資料、目を通しておいて」
 プレゼン用に綴じられた小冊子を差し出す中原部長の左手がやけに白く見える。ブルーの半袖シャツから出た腕は、リゾートの強い陽射しの名残よろしく、まだ赤みも強い小麦色。鍛えられた筋肉が重たい生レバー塊のように見えなくもない。しかしタグホイヤーのシルバー時計を境に、その先だけが間の抜けたように白いのだ。
 週末の予定をお互いに聞かないのが私達の暗黙のルールだったけれど、ようやく離婚が成立し彼の一人暮らしが始まった今、
「ゴルフだから」
 と告げるのに何の問題があるというのだろう。先週金曜日の夜、彼は、
「明日朝早くから用事がある」
 と神妙な顔つきで日付が変わる前に私をホテルに一人残し出ていった。
 これまで毎週金曜日の逢瀬では、眠ろうとする私を起こしてまで何度も求めてくるのが常だった。日本人には珍しくベッドでも饒舌な彼は、一週間分の会話を私の肌の上で始めながら交わりを重ね、一週間分の精液をすべて放出し仮眠するころには大抵明け方になっていたものだ。
 リゾートの太陽を満喫した身体から取り残されたような白い左手を見ていると、まるで置いてきぼりをくった私みたい、と自嘲的な気分になる。あの肉厚な指はゴルフクラブではなく私の足首を握り、ボールではなくて私の突起を転がしていたはずだ。
 左右色違いの手を持つ彼が腹立たしくも思え、あんな格好悪い手で触れて欲しくないという気持ちにもなる。しかし一方で、ずっと窮屈なグローブをはめられ、週末のお遊びから目隠しをされていた白手が愛おしくもある。今度の金曜日は、
「左手以外で私に触らないで」
 とでも言ってみようか。
 週明け早々、こんなことでイライラする私もどうかしている。私には週末に会う男友達だって、社内でアプローチしてくる輩だっている。彼は私にとって単なる都合のいいオトコの一人、のはずだ。どれだけ甘えようが、どれだけ我がままを言おうが、嫌われる心配のないオトコ――にもかかわらず、渡された英文資料を読んでいてもアルファベットが頭を素通りするだけ。これでは仕事にもならない、と前方に座る彼の白手を睨みつける。
「ヒロミさん、どうしちゃったんですか? そんな険しい顔して」
「え? あ、やだ。ちょっと考え事してて」
 後輩のユカリの声に振り返ると、見慣れない黒人が一緒に立っている。
「こちらが、今日から二週間、うちの部署で研修するボブです。もうそろそろお昼なんで、よかったら先に彼とランチ、行って来てください」
 そういえばロンドン本社から研修員が来る予定だった。ビジネススクールを卒業してMBAを持つエリートだとは聞いていたけれど、黒人とは思ってもみなかった。しかもこれほど、黒い、とは。
 社内に外国人の姿は珍しくないけれど、いずれも神経質そうな青白肌にセンスの悪いメガネをかけているか、どうしようもない脂肪の塊を恥ずかし気もなくベルトの上に乗せている管理職ばかり。在日七、八年目になってもいまだに日本語を覚えようとしない彼らは、いつまでたっても外国からのお客様だ。私にとって外国人と言えば彼らのような白人種しかイメージできなくなっていたらしい。
 けれど今、目の前に立っているボブは、耳の中に至るまで余すところなく塗りつぶされたよう。オフィスの冷たい蛍光灯に照らされる彼の肌はブラックチョコレートでコーティングされたようなツヤがある。黒目がちな濡れた瞳は子鹿を思わせるけれど、スキンヘッドに突き出た額が聡明さを物語っている。キャリアからすると私と同じ二十代後半くらいだろうか。
「は、ハロー」
 なぜか速まる鼓動を抑えようと、立ち上がって右手を差し出す。ガッチリと私の手を包む大きな黒手は、指が長く、節ばった頑丈な枝木を連想させる。
「ナイス・トゥ・ミー・ティユー」
 ボブはすらりとした長身を細いストライプのダークスーツに包み、にこやかな笑顔を見せる。褐色の唇の間から覗く歯は、黒い首を際立たせるワイシャツの白さ同様、目に眩しい。私がファッションデザイナーだったら、ショーのとき白い服は全て間違いなく黒人モデルに着せるだろう。平凡な白シャツがこれほどオシャレに見えたことはない。
「な、ナイス・トゥ・ミー・ティユー・トゥ」
 爪先から頭まで舐め回すように見てしまう。無遠慮な中年男性のような自分をごまかそうと、目一杯口角を上げて笑顔を返す。そして固い握手が解かれたその瞬間、私の視線は彼の手の平に釘付けになってしまった。
 こんなところに、塗り残しがある。手の平が、黒くない。指と指の間も。
 やや黄みを帯びたベージュの手の平は、中原部長の左手と同じくらいの色だろうか。手の平に刻まれた線は、幼児がエンピツでなぞったかのように単純で浮いて見える。塗り残しというよりは、むしろ何か白いものに触れて一時的に染まってしまったかのようだ。手をよくこすって洗えばチョコレート色の肌が下から現れるような気がしてしまう。
 先祖代々、手の平だけがアフリカの太陽を浴びずに白く取り残されてしまったのか。はたまた、これは何かに不用意に触れてしまった汚れなのか。
 彼が触れる白いもので、この美しい黒肌を汚してしまうものってなんだろう……たとえば、私の身体、とか……。
「ア……アノ、ヒロミサン? どうかしましたか?」
「あ、ああ、ひ、ヒロミ、でいいわ。に、日本語も、話すのね」
「少しだけです。今、勉強しています。難しい。でも面白いです」
 子供のような屈託のない笑顔に淫らな想像が一気に消し飛ばされ、顔を赤らめる。これも皆、いつまでも不倫気分の中原部長が手を色違いになどしたせいだ。
「あの、行きましょうか、ランチ。日本に来たばかりなら、月並みだけどスシにする?」
「オウ、ザッツ・マイ・フェイバリット!」
 外資系企業の多いこの界隈では、海外からのクライアントと高級寿司店で昼食をとることが珍しくない。私達が入ったこの店もほとんどのテーブルで日本人と外国人の男性同士が向かい合って座り、満席だ。中には日本人男性が外国人に酒を注いでいる姿もある。
 カウンターにボブと肩を並べて座った私は、おまかせ握りを二人前注文すると、無造作におしぼりをつかんだ。
 評判の店だけあってガラスケースの中にはいつも新鮮なネタが豊富に並ぶ。
「いくら高級料理でも仕事の席でとる食事を美味しいと思ったことはないけれど、この店の寿司だけは違う」
 そう言って、初めて私をこの店に連れてきたのは中原部長だった。
「今後ビジネスランチで誰かを案内するときは必ずこの店を使うように」
 と指示したのも。
 そんな彼の言葉をずっと忠実に守っている自分が馬鹿みたいに思える。今日は会社の経費でたくさん食べなければ。おまかせ握りだけでは腹の虫が治まらない。
 ネタケースに目を向けると、タイミングが良いのか悪いのか、見事な大きさのミル貝が正面に陳列されている。成人男性のペニスさながらの立派な水管が、ピッタリ閉じた貝殻の間から窮屈そうに顔を出している。シワの多いゾウの黒鼻はいくら眺めても勃起前のペニスにしか見えてこない。
 そしてその隣にあるのが同じ形状の色違い。こちらはまるで膨張した白人ペニスだ。その水管は貝から顔を覗かせるどころか、二つの貝殻の割れ目に挿入貫通し、さらに余りある白棒をダラリと横たえている。
 こんなものを前にボブと何を話したらいいのだろう。これほど目前にあっては気づかないふりもできない。彼もどんなものが握られてくるのか、ガラスケースの端から端までしげしげと見つめている。もちろん、この白黒ペニスまでも……。なんだか喉が渇いてたまらない。ビールでも頼んでしまおうか。


 
 
 
 
〜〜『午後3時の女たち』(渡辺ひろ乃)〜〜
 
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