官能小説販売サイト 末廣圭 『奔るバイアグラ』
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末廣 圭    はしるバイアグラ

目 次
第一章 『ソウル・ナン』
第二章 『女社長・八城慶子』
第三章 『人材派遣会社・結城久野』
第四章 『水泳コーチ・深浦司』
第五章 『秘書・神田律子』
第六章 『女性カメラマン・寺田里美』
第七章 『マニラ・モニカ』

(C)Kei Suehiro

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 第一章 『ソウル・ナン』

     1

 そめよしの花びらは影も形もなく散っていた。代わって黄色みを帯びた新緑の青葉が老木の大枝を隠すように芽吹き、西陽にチカチカ光っていた。
 会社からは歩いても二十分と掛からない皇居のお堀を見降ろす細長い公園で、なかこうへいはたった一人、ぼんやり、古ぼけたベンチに腰を降ろした。
 この半年ほど、そんな時間はなかった。
 お堀の水はほうれん草色に似た、濃く暗い緑によどんでいた。徳川家康によって江戸幕府が開かれたのは千六百三年であるから、この皇居も、ちょうど四百年の歴史を刻むことになる。とすれば、お堀の水も営々四百年も澱んだままだったのか――。
 台風でお堀の水があふれ返り、濁流と化した記憶はあるが、誰かの手によって水が取っ替えられたとは、ついぞ聞いたことがない。
 見つめていると、お堀の底がどんな風になっているのか、わずかな興味が湧いてくる。お化けのような大魚が悠々と泳いでいるかも知れない――。
 隣りのベンチに若いカップルが座った。桜の時期は歩くのも難儀するほどの人並みで溢れ返る。しかし花が散ればもう用なしで、季節の移り変わりに人間様は冷たい。
 そういえば、公園と道路一本を挟んでいるホテルも桜の季節はちゃっかり借景をして、ランチやコーヒー一杯の値段がガッチリお高くなっていた。
 短い桜の季節が終わって、陽気はよくなったのに、あたりはさびしく変化していた。
 耕平はなぜか空しい気分に襲われていた。脳天がお堀の水のように澱んでいる。気力が湧いてこない。
 仕事はまずまず順調である。歳は五十四になった。二度結婚に失敗して、今は快適な独身生活をたんのうしている。
 四年前に独立して、ちっぽけな出版社を作った。社員は六名である。平成大恐慌は震度5の激震で、ばんじゃくを誇っていた出版業界も屋台骨を揺さぶられている。大手出版社も、直下型の猛威に軒並み恐れおののいている。
 しかし、こぢんまりしているだけ、耕平の会社はシャッキリ生き残っていた。給料遅配もないし、六名ではリストラもできない。精鋭社員は安月給にも文句一つ言わず、仕事に対して意欲満々である。
 貧乏社長とて、夜のちまたで遊ぶ金に、それほど困っている訳ではない。
 それなのに、なぜか身体がかんし、だるいのだ。
 これは、一体どうしたことだ?
 この気分は、わずか一ヶ月前、思わぬきっかけから人妻のと、秋田県のかくのだてに『恋の逃避行』をして以来続いている。四日間の投宿で、昼夜見境いなく、とろける交わりにひたった。ストロベリー・レッドのひだにじみ溢れる蜜液を飲み干すと、由美子は真っ白な裸身をわいにくねらせ、のたうち回った。
 性の一致が貞淑な妻の座を忘れさせた。由美子は二日目の朝に「結婚」を言い始めた。
「亭主と離婚しても……」と告白された時は、ハンマーで後頭部をゴツンとどやされた衝撃を受け、脳味噌が混乱した。
 由美子との接触は『ふれてはならぬ花』と、固くご先祖様に誓っていたのに、その美貌に血迷い、ついついふれてしまった罰当たりだったのか――。
 以後、女の柔肌とは接していない。
 俺も老いぼれてしまったのかと、夕闇迫るグレーがかった空を見上げた。隣りのカップルがボケッと空を見上げるオジサンのことなど無視して、ギュッと抱き合いキスを始めた。
 それを盗み見したところで、ドラ息子には何の反応もない。
 一ヶ月も放出していないのだから、タンクは満タンであるはずだ。十代、二十代の若さなら、満タンになれば夢精をもよおし、ドッと溢れ出る。しかし、五十の半ばにもなれば、それほどの勢いはない。
 溜まったものは澱んで、カス漬けになってしまうのではないかと、心配になる。
 女の身体をはいかいしていた頃は、一週間に五回、六回は自信があった。そういえば、秋田の宿では、由美子を相手に年甲斐もなく「抜き二」の激闘を演じた。
 しかも、この歳になるまで、たなくなってしまったとオロオロし、慌ててドリンクだの精力剤などのお世話になったこともない。
 バイアグラとかいう「劇薬」は厚生省の認可も下りて、素っ裸の女を前にしても勃起しない情けない男どもが、闇夜にこっそり飲んでいきりっている。
 そんなものは瞬間接着剤みたいなもので、男本来の神々しい性欲を満足させるものではないと、テンからバカにしている。
 それでは、溜まっているものはどうしているのだ。排泄の欲望が湧いてこないのだから、このままかんおけまでの道連れか? それでは女の溝に放流されることを、今か今かと待ち侘びる、子供予備軍がかわいそうだ。
 耕平はふと思い出す。
 四十の半ば頃から、溜りに溜まって放出すると、精液がネバッと黄色く澱んでいた。連夜の突撃はツヤッと光る新鮮な乳白色だった。
 ということは、俺の袋の中では、賞味期限カスカスのだくえきが澱んでいる――? 男の身体はそのあたりからくさっていくのだと、妙な結論をつけたくなる。
 放出するから溜まる。放出しなければ腐ってしまう。その生理現象をなぜ理解できなかったのだ。あんなものは、鍵を掛け大切に保存しておくものではない。
 世のストレスまみれの中年男どもは、酒の肴にほざいている。「俺はせいぜい月に一回だな」なんて。バカ言っちゃいけない。歳を取れば取るほど放出回数を増やし、新鮮な精液を製造しなければならない。
 それを作り出そうとする身体の機能的頑張りが、男を若返らせるのだ。女房殿のくうけいを見ぬ振りし、三日に一度はゴルフ場に通い、ツヤツヤ陽焼けした顔を鏡に写して「俺はまだまだ若い!」なんてほざいている奴はポックリいくぞ! どうせあの世へ行くのなら、優しい乳房の上がいい。
 新鮮なガソリンが満タンになれば、少々のブスでも美人に見える。練馬大根だってきゅうりぐらいには見えるはずだ。女の柔肌におぼれていれば、多少の不景気やストレスなんかは吹き飛んでいく。
 女とまみえることは、ポパイのスピナッチ(ほうれん草)より効果的である。
 結論が出れば行動は早い。
 相変わらずいちゃついている隣りのカップルに「がんばれよっ!」と、腹の中でエールを送り、古ぼけたベンチからひょいと立ち上がった。

 耕平はポケットの中から携帯電話を取り出した。プッシュの回数は十回以上である。
「もしもしっ! ナンちゃん?」
 電波の調子が悪かったが、電話の向こうからたどたどしい日本語が跳ね返ってきた。
「耕平さん! 会いたかったよ……」
 それは、ソウルのナンだった。二ヶ月以上のご無沙汰だった。澱んだ気分を晴らすには、異国がいい。小振りながらツンと盛り上がる乳房と、日本人では味わえない「細い道」を思い出し、久し振りに、グインとまたぐらが反応した。
 そうでなければ、男がすたる。
「来週の木曜日にソウルに行くよ」
「ほんとに? 一人で?」
「いや、山田も誘う。今度はナンのアパートに泊まるから……」
「いいわよ。おいしいキムチ作って待ってる」
 澱んだお堀の水が、鮮やかなブルーに透き通って見えた。


 
 
 
 
〜〜『奔るバイアグラ』(末廣圭)〜〜
 
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