由紀かほる 金髪の愛姦天使
目 次
汚辱の航跡
金髪の愛姦天使
第一章
第二章
第三章
(C)Kaoru Yuki
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汚辱の航跡
美貌の令嬢
「どうやらイギリスまであと五日で着くそうです」
サムは船のプロムナード・デッキにある椅子に腰掛けていた。
「ストライキがあって、船はコロンボには寄らないことになったんです。長年お嬢さまに仕えてきた私としましては、あと五日でお別れかと思うと、まことに残念です」
だが男の顔に哀し気な様子は微塵もなかった。むしろその肉のつきすぎた赤い燻したような面には、薄笑いさえ浮かんでいた。眼は黒っぽいが陰険で、それがじっとテーブルを挟んで座った若い女に注がれていた。
「いやあ、実に寂しいです」
サムはくり返して言った。若い女は黙って広漠とした海を見つめていた。さきほどまで眼の前だった陸地が、今はもうはるか水平線の彼方に消え去っていた。
「サム、本当にフィルム返して下さるのね」
ようやくマリーは顔を正面に向け、ブルーの瞳でその下男を見つめた。
「約束は守りますよ」
へへ……と下卑た笑いを洩らした。
マリーはキリッと眉を寄せ、すぐに眼を伏せた。
アップしたブロンドのヘアが彼女の美貌を引きたたせている。
「お嬢さまをイギリスへ送り届けた後は、私もようやく人並みの生活ができそうです」
「私もよ」
「デイビットさまもさぞ待ち焦がれているでしょうな」
「彼のことは言わないで頂戴」
婚約者の名前を出されると、あらためて自分の惨めさを思い知るのだった。
「あの方も自分の婚約者が下男と通じているとは、夢にも思わんでしょう」
「やめて」
思わず叫んだが、すぐに語気を緩めて、
「お願いよ、こんなところでその話はやめて頂戴」
「わかってますよ。人前じゃあ貴女と私は、主人と下男の関係ですから」
言って、唇を噛みしめるうら若い美貌の女主人を、ニヤニヤしながら見やった。
マリーはその視線をさけるように、再び海上へ眼をやった。横を向くと、くっきりと整った眼鼻立ちがよりはっきりした。鼻の頭がツンと上を向き、それが美貌にあどけなさを与えている。白い真珠のイヤリングが、ブロンドの和毛と共に潮風にそよいでいた。
なめらかな海面は夕陽に照り映えて美しく鏡さながらだった。その大きな鏡の中には、今日一日、一隻の船も侵入して来なかった。時折り、深い沈黙を破るように、飛魚が躍り立ち、キラキラと瞬くように光をまき散らす。
「ご一緒してよろしいでしょうか?」
若い男がマリーに尋ねた。
マリーは少しとまどった様子で、サムの方を見た。承諾を求める視線であった。
背の高い男もチラッとサムを振り返った。明らかに相手を見下す目つきである。表向きは下男として仕えている身のサムは、
「どうぞ、こちらへ」
立ち上がり、席を譲った。
若者は座るなり、自己紹介を始めた。それは席を離れたサムの耳にもかろうじて届いた。
「まあ言ってみれば医者のタマゴってわけです」
男はトム・ハーマンと名乗った。東洋の医学を学び、これから本国へ帰って開業すると言った。
端整な面立が日焼けしており、その口調にも若々しい情熱が感じられた。
だがそれがマリーには耐え難い苦痛となっていた。トム・ハーマンの若さと明るさはデイビットを想い起させるのである。
「どうですか、今夜ご一緒にお食事でも」
「私は構いませんけど、でも一つ貴方に言っておくことがありますわ。私、婚約者がいますのよ」
トム・ハーマンはちょっとがっかりした表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべ、
「その彼は何と運のいい男なんだろう。彼に乾杯したい。いやお二人のために」
彼に誘われるまま、マリーはラウンジへ入った。
テーブルの前に腰を下ろし、若い医者は彼女のためにドライ・マティーニを、自分のためにはジン・パヒットを注文した。
「東洋に長い間いましたので、他のものは飲めなくなりましてね」
苦笑するように彼は言った。その笑いには屈託がなく、マリーもつられて微笑んだ。
少なくともサムのいないときは、明るく振る舞おうと彼女は思った。
酒が入るとトム・ハーマンは饒舌になった。決して嫌な感じではなく、マリーは皓歯を覗かせて耳を傾けた。
だが、やがてマリーの面にかげりがさした。離れたところで、サムの姿を見つけたためだった。彼はカクテルを飲みながら、日本人らしい乗客と何やら話し込んでいた。ときどき、黒っぽい陰険な瞳がマリーへ向けられ一時も監視を怠っていないことを知らせるのだった。
マリーはスッと立ち上がった。それがあまりに突然だったので、彼女の機嫌を損ねたのではないかと、あわてて立った。
「何かお気に触りましたか、もしそうならお詫びします」
「いいえ、ちょっと気分が悪くなっただけよ。部屋で少し横になりますわ」
「では、部屋まで送らせて下さい」
「いいえ、結構ですわ」
「じゃあ、夕食のとき部屋にうかがわせていただいていいですか」
「私、今日は食欲ありませんの」
ラウンジから通路を歩き、マリーは部屋に戻った。
ドアを閉めると無駄と知りながら鍵を掛けた。サムは合い鍵を持っている。
案の定、そのドアは間もなくサムによって開けられた。
マリーはあわてて涙を拭き取った。
「ふふふ、もう終りですかい、浮気は。いいんですよ、私は口が固い男ですから。デイビットさまに告げ口なんてしやしません」
「あの方はそんな人じゃありません」
「ほう、よくご存じですな」
ドアに鍵を掛けたサムは、マリーと並んでベッドに腰掛けた。
マリーは顔をそむけたまま、両手を真っ赤なスカートの上に置いて身を堅くした。
「それで、あの若造は何者です」
マリーは簡単に話してやった。
「医者のタマゴですね。そういえばあの眼つきはたしかに医者らしい。恐らく婦人科専門でしょうな。お嬢さまのからだを舐めるように見ていた」
「やめて」
「ふふ、お嬢さまもその気になってたんじゃないですか? 若いハンサムな男の方が、この私なんぞよりはずっと楽しいでしょうからな」
「もうやめて。どうか私ひとりにさせて頂戴」
「いやだと言ったら?」
マリーが振り返ると、そこに薄笑いを浮かべた肉のつきすぎた赤い顔があった。あのトム・ハーマンとは似ても似つかない笑みである。
「お願いよ、サム……私、本当に気分がよくないの」
「船酔いでしょう、医者のタマゴを呼んだらいい。きっと手厚く看護してくれますぞ」
「ああ……サム、これ以上私を苛めないで」
膝の上の手を握りしめ、弱々しく首を振って鼻をすすった。
「苛める? いつ私がそんなことしました。船に乗ってからはまだ一度も……」
「もう出て行って! お願いよ」
ヒステリックに叫ぶマリーを見て、サムは立ち上がった。
「いいですよ」
それから声の調子を変えて、
「なら、私の足もとに膝まずいてお願いするんだ。さあ」
涙のあふれるブルーの瞳がキッと下男を睨んだ。
「どうした? できぬか? なら、今すぐお前を素っ裸にひん剥いてやる。ふふ、久し振りにタップリ可愛がってやろう」
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