由紀かほる 牝犬に鞭のバラッドを
目 次
1章
2章
3章
4章
5章
6章
(C)Kaoru Yuki
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1章
ワンチャンス
幸運の女神はいつ微笑んでくれるのかまったくわかったもんじゃない。しかも、それが自分の人生を大きく変えるほどの幸運ともなればなおさらである。
その夜、おれはカッカした頭を冷やすために酒を呑んでいた。
〃クールなジョウ〃というアダ名のあるおれはめったにカッカくることはない。
ことの起りは、小野テルオからの電話からだった。
「やあ、ジョウかい。小野だよ。今夜空いてるか」
「売れっ子ミュージシャンに何てことをきくんだい」
トランペット吹きのおれはでっかい声で云ってやった。そこは新宿にある〃ピテカントロプス・エレクトス〃というジャズ喫茶で、店内はレコードの音がガンガンしていた。
「こりゃあ失礼した。実は頼みがある。うちのバンドが今夜JBCテレビの〃ナイト・ミュージック〃にナマで出ることになってるんだが、今朝唇を切っちゃってね。代りに出てもらえないかと思って電話したんだ」
小野テルオと云えば、少くなくとも知名度では、おれなど問題にならない。日本のジャズ・プレーヤーではNo.1的存在である。テレビの音楽番組ばかりか、コマーシャルにまで出ている。
テレビ出演は名前を売る絶好のチャンスとも云えるが、この世界はそう甘くない。
〃ナイト・ミュージック〃は、月に一度、金曜の夜十一時半から〇時五十分まで放送される音楽番組である。別にジャズの番組というわけではなく、ニュー・ミュージックやロック・フュージョンの連中も出演している。
「で、何曲やらせてもらえるんだ」
「予定じゃ四曲ってことになってる」
テレビのナマ番組で四曲とは、めったにない話だ。
「おれのピンチ・ヒッターだから、おれのコンボと演ってもらうよ」
「そんなことはわかってるさ」
「それにまだある」
小野はそこでちょっと躊躇ってから、
「四曲のうち三曲は、ある歌手のバックで吹いてもらうんだよ」
おれは苦笑した。そんなうまい話が転がってるはずはない。いや、それでも人気No.1の小野だから、一曲コンボの演奏をやらせてもらえるんだろう。この際贅沢は云っていられない。
「ところで、その歌手ってどちらさんだい」
「秋野奈美だよ」
それは一瞬耳を疑った。何かの間違いではないか――。
「まさか天下の小野テルさんが、あの小娘をジャズシンガーと呼ぶつもりじゃないだろう」
「そうなんだが、世間じゃそう呼ばれてる」
おれは言葉が出なくなっていた。
秋野奈美は最近売出し中の美人ジャズ・シンガーである。が、この「美人」というのがくせ者だった。たしかに、美人である。二十一という若さと、切長の眼に、鼻がコケティッシュに上を向いた美貌には、どことない気品すら感じられる。
しかし、アイドル歌手ならいざしらず、ジャズだけはルックスで唱うもんじゃない。もちろん美人にこしたことはないが、問題は歌唱力と歌心だ。
ところが、秋野奈美にはこのどちらも欠けていた。が、ブームというのは恐しい。そんなジャズ・シンガーでも、今やテレビやコンサートに引っぱりだこの人気シンガーだった。
「ジョウの云いたいことはわかってるよ。けど、たまにはイヤな仕事も引き受けなきゃならんときがあってね――」
小野はうんざりした口調で続け、今のテレビの音楽番組のディレクター連中の、ジャズに対する理解力の低さをなげいてみせた。おれはその通りだと答え、しかし、まあお前のピンチヒッターなら、せいぜい気合いを入れて吹きまくってくる、と云って電話を切った。
夢のかけ橋
が、所詮、おれはこうした場所とは水が合わないらしい。
三時間前にスタジオに入ったおれは、小野テルオのカルテットと、まずリハーサルを行った。曲はテレビ局の方からの注文で〃スターダスト〃。リズム・セクションの連中は、一流だったから、一発できまった。
ところが、秋野奈美が加わったころからおかしくなった。おれたちの方は全然変らないのに、おれのトランペットとのかけ合いのところに来ると、奈美の音程が乱れる。
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