蘭 光生 監 禁
目 次
蒸発
流れる
落花の舞
磔の美少女
白き美畜の檻
(C)K. Ran
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蒸発
1
大学の三年も後半になって、もうそろそろ卒業論文のテーマを決めなくては、と思案をめぐらしているうちに、フッと頭に浮かんだのが〃蒸発〃ということばであった。
ひと頃はずいぶん流行した言葉である。東北から出稼ぎの労務者が、東京で地下鉄工事などをしているうち、故郷に残した妻や子供への仕送りがパタッと途絶えてそれきりになる場合がふえたことがあった。マスコミはそれを〃蒸発〃と呼んで話題にしたものである。
真相は、東北の貧しい農民が東京で暮らすうち、垢抜けた水商売の女とできたりして、故郷に残した泥臭い妻や子がだんだんうとましくなり、姿をくらましてしまうというのがおきまりのコースであった。一応捜索願いを出しても、忙しい警察では、そんな一労務者にかかわり合っているひまはない。自然、行方不明人は行方不明のまま終わってしまうことが多い。
この大きな流れとは別に、昔でいう駈落ちなども〃蒸発〃という名で呼ばれているのだが、こういう新鮮な言葉を使うと何か新しい流行がはじまったように感じられるから奇妙である。また戦後評判になった『自由学校』的な家出も、典型的な蒸発の一つに数えられている。きまりきったパターンの繰りかえしであるサラリーマン生活にいや気がさし、脱サラを試みて、フッと会社や家庭から蒸発したように姿を消してしまう例である。そしてその他に、誘拐も〃蒸発〃として処理されているかもしれなかった……。
加納真紀子はT女子大学で社会心理学を専攻している女子大生であった。卒論のテーマを考えているうちに、いささか流行遅れではあるが、この蒸発現象を、社会心理学の上から、社会情勢と人間関係の流れの上でとらえてみたら面白いのではないかと思ったのである。
彼女は警視庁に行き、家出人の綴じこみを見せてもらった。
係官が出してくれた綴じこみの、その膨大な量にまず驚かされた。
「まあ、こんなにいるんですか?」
「ええ。それで見つかる人はほんのわずかですね」
みんなどこへ消えていってしまうのだろうか? 恋人と駈落ちして、今でもどこか場末の狭いアパートの一室で小さな愛の巣を営んでいるのだろうか?
女子大生の写真が貼ってある届出カードがある。原因は『失恋による家出』とある。今頃はどこかの雪山の奥で、冷たい骸になって凍っているのかもしれなかった。
こんなに家出人、行方不明が多いなんて、やっぱり社会がどこか狂っている。その狂っている個所を、これらの家出人のデーターを集積し分類していけば、自然に解明されていくのではないかしら?……と真紀子は自分の着想にますます自信をもちはじめた。
姓名、年齢、職業、身分、家出の動機、そして写真を貼付したカードを眺めながら、何枚かめくっていくうちに、十数枚目のカードの写真を見た瞬間、加納真紀子は、おや? とめくる手をとめた。中年、老年、少女など、どこといって特徴のない顔写真が何枚もつづいた後で、そこだけがパッと花が咲いたように、美しい人の顔が現われ、つい気をとられて注意を払った時、それがどこかで見た顔であることに気づいた。
『五十嵐麻木子。28歳……』
という記述を読み、真紀子は、
「やっぱり、あの方だわ」
と呟き、次の文字に目を移した。
『五十嵐勇(C医科大学教授。53歳)氏の妻。夫が学会で出張中に家出、消息を絶つ。愛人ができたので家を出るとの主旨の置手紙があったので、駈落ちと思われる……』
そして、家出の年月日は今から半年ほど前の日付が記されていた。
加納真紀子がこの五十嵐麻木子に会ったのは一年ばかり前のことである。友人の結婚式に招待され、その披露宴の式場で、花嫁になる友人に紹介されたのだった。
「こちら五十嵐麻木子さん。ほら、マキと同じなのでご紹介するわけ。C医大の主任教授夫人。私の姉のお友だちなの。でも同じマキコでもマキとはちょっと字が違うのよ。麻の木って書くの。変ってるでしょう……」
その時の友人の言葉が昨日のことのように頭の中に甦ってくる。親と子ぐらいも年が違うのに、妻を失くした五十嵐教授と大恋愛のあげくに結婚したという話だった。麻木子自身、C医大の生徒だったが、その恩師と結婚すると大学生活をさらりとやめ、もっぱら貞淑な妻として主婦業に専念しているという。
「あの奥様が……」
今でも鮮やかに美しい麻木子の顔が目に浮かぶ。抜けるように白い肌に、染めたのではないかとさえ思われる栗毛色の髪がよく似合っていた。どこかエキゾチックな容貌を感じさせるが、表情豊かな大きな瞳と魅惑的な唇が、一目見ただけで強く印象づけられたものだった。見た瞬間、女優の栗原小巻を彼女は思い浮かべていた。だが、小巻よりもより知的で色が白く、ふっくらした感じを受けたのを覚えている。
自分の知人を、この薄暗い一室で、部厚い綴じこみの中に見つけだしたショックは大きかった。 |