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由紀かほる   女探偵・紫

目 次
魔粉の香り
夜の猟人

(C)Kaoru Yuki

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 魔粉の香り


     ACT・1

 あまたくぞうはいつものように銀座にあるバー〃にじ〃でブランデーを舐めていた。
 もともと斜視ぎみの険のある顔が、今夜は一段と不機嫌そうに厳しくなっている。
 ホステスが二人ついているが、話しかけていいものか躊躇ためらっている。相手は天野組というヤクザの組長である。これまで店で暴れるようなことはなかったが、いざとなったら何をしでかすかわからないという不安がある。
 この一週間、天野は毎晩〃虹〃へ通っていた。
 以前から〃虹〃の常連ではあったが、今度入ったホステスが気に入って、しきりに入れげていた。
 女の名は〃紫〃と言った。
「本名は」
 とたずねると、
「同じですわ」
 落ち着いたやわらかい声で答えた。
 その子猫のようなキュートな目鼻立ちを、知性のオブラートで包んだような美貌を一眼見たときから天野は、
「こいつはわしの女だ」
 と勝手に決めていた。
 紫が以前は看護婦をしていたが、九州にいる父が過労のために倒れ、その入院費を稼ぐためにバーへ勤めるようになったと聞くと、あくる日、三百万の額面の小切手を持ってきて、
「これでおやさんを一流の病院に入院させたらいい」
 と、紫の手に握らせた。
「そんな……困りますわ」
 そう言って押し返そうとする紫に、
「まあ、いいじゃないか。これはわしのお前に対するほんの気持ちなんじゃ。わしはな、親父さんはもちろん、お前も面倒みてやりたいと思ってる。お前みたいな女にこういう場所は似合わん。わしは、このままお前が染まっていくのを見たくないんじゃ」
「でも、こんな大金をあっさりもらうような女はお嫌いでしょう」
「いや、お前は別だ。そこらにいる女とは違う。たかだか三百万程度のはした金で落ちるとはわしだって思っとらん。わしはな、本気でお前に惚れたんだ。だから、こいつは受け取っておいてくれ」
「それはできません、やっぱり」
「なぜだ。そんなにわしが嫌いか。極道者だからか」
「いえ、嫌いじゃありません。それに私は職業や肩書きで人を見ることはしない女ですから」
「そうか。だったらよかろう」
「そう言われても……まだ知り合って十日しか経ってませんのに」
「わしはいつまでも待つ。お前が、うんと言ってくれるまで毎晩通う」
「それでは失礼ですから、一週間待って下さい。その間よく考えてみます」
「一週間だな、よしわかった。いい返事を待ってるぞ」

 その一週間目が、ちょうど今夜だった。
 が、天野がやってきて一時間しても紫は姿を現わさなかった。
 いつもなら、とっくに出勤している時刻である。
 店のママに聞くと、
「お部屋の方に電話してみたんですけど、つながりませんの。今こちらへ向かってるところだと思います」
 と言う。
 が、それにしても遅すぎる。天野のグラスをあけるピッチが早くなった。
(もしや逃げたのでは――)
 という不安が頭の中をかすめる。
 別に金を取られて逃げられたというわけではないが、他のホステスやママの手前、フラれたとなれば、やはり天野組の組長としてのメンが許さない。
(もしそうなら子分たちを使ってどこまでも追いかけて、力ずくでも連れ戻す)
 天野はグラスを一気にあけた。
 ホステスがブランデーをごうとしたが、ボトルはからになっている。
「何しとるんじゃい。早く持ってこんかい」
 ついカッとなって、大声を張りあげた。一瞬、店がしーんとして、天野に視線が集まった。
「隣りにボケッと座ってて酒を呑むしか能がないのか、ここの女どもは」
 大急ぎでママが跳んできた。ドスのいた声はさすがに迫力がある。
「天野さん、どうかなさいましたか」
「どうかもクソもあるか。紫はどうした」
「ですから、もうしばらく――」
「もう一時間も待っとるんじゃ。わしを舐めてるのか」
 
 
 
 
〜〜『女探偵・紫』(由紀かほる)〜〜
 
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