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蘭 光生    うばわれた教室

目 次
奪われた教室
お兄さま、縛らないで……
恥辱の僧衣
獣たちの季節
夏服を着た少女
暗闇のキッドナッパー

(C)K. Ran

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   奪われた教室

     1

 事件が起きたその時刻に、はぎ先生は、三年B組の教室で国語の授業をしている最中だった。
 ちょうど、漱石の『吾輩は猫である』をやっていた。教科書にはおきまりのように、有名な冒頭の句にはじまる第一章の部分が載っている。しかし、香緒里は、その冒頭の文章より、いちばん最後の章が好きだった。主人公の猫が、台所で酒を呑んで酔っぱらい、庭のみずがめのなかに落ちてできするシーンだ。いちおう、教科書の分を授業しおえてから、香緒里は『吾輩は猫である』のこうがいを話し、巻末の部分をコピーして生徒に渡した。そしてそれを、生徒に読ませていたところだった。
「……呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。悟った様でも独仙君の足はやはり地面の外は踏まぬ……」
 机の前に立って読んでいるのは、ばなあきだった。成績はトップクラスのうえに、色白の美少女である。矢作先生は、学校の帰りに、私服姿の彼女に出会い、挨拶をされて一瞬とまどったことがあった。学校で制服を着ているとどう見ても中学三年生であるが、いったん家に帰り、女の服を着ると、びっくりするほど年かさの女の顔になり、一見二十歳前後の成熟しきった女性の雰囲気を漂わせていたのだった。
 よく澄んだ冴えのある声で、小気味いいくらいメリハリをつけて尾花千明が朗読しているのを、クラスの連中もうっとり聞き惚れていた。読解力の弱い生徒をあてると、二、三行読ませただけで、聞いているほうがをあげてほかの者に交替させてしまいたくなる。が、尾花のように朗読のうまい生徒にあてたときには、ついついつられて、そうとう長い範囲まで読ませてしまうものだ。
 いまもその伝で、つい長々と読ませてしまい、ハッと気がついた香緒里が、
「はい、そこまで……」
 といったとき、教室のドアがガラリと開いて二人の男がとびこんできた。それも異様な姿で。
 矢作先生が小さな悲鳴をあげ、クラスの女生徒も「キャーッ!」といっせいに叫んだ。さすが男生徒だけはみないちように黙ってはいたが、動揺はかくせなかった。席に坐りかけた尾花千明は、ぼうぜんと立ちつくしたまま、二人のちんにゅうしゃを見つめている。
 二人とも、皮ジャン姿で黒いフルフェイスのヘルメットをかぶっていた。プラスチックの覆いも薄墨色のものなので、ヘルメットのなかの顔はよく見えない。二人とも、手にボストンバッグをさげている。しかも、大柄のほうは、もう一方の手に拳銃を持っていた。
(そうだわ、きょうはお給料日だった……)
 どうやら、二人とも給料強盗らしいが、盗んだまではいいが、なぜか逃げそこない、この教室に迷いこんできたらしい。
 土足の足音をひびかせて、教室の窓ぎわに走りよった小柄のほうが、窓から外をのぞき、絶望的な声をあげた。
「だめだ、兄貴! ここは行きどまりだぜ」
「なに?」
 入口のドアを背に、拳銃を生徒たちに向けたまま、兄貴と呼ばれた男は、チラッと仲間のほうを見やったが、その位置から動こうとはしなかった。よほど用心深い男らしい。
「窓からとびおりられるか?」
「だめだ! ここは三階だぜ」
「三階? そんなばかな……」
 生徒のなかから失笑に近いざわめきが生まれ、男生徒のひとりが「バーカ」とちょうしょうするのが聞こえた。
 この区立中学はおもしろい構造になっていた。坂の途中にあるため、校門から入ると校舎の一階に入ったつもりが、校舎の端に行くと、いつのまにか三階になっているのだ。校庭側から見ると、校舎の出入口ははっきり三階だとわかるのだが、道路から見ると、その中学は一階建の校舎にしか見えないのである。
 しかも、三年B組の教室は、その三階のつきあたりにあり、出入口のドアはひとつしかない。入口と反対側に非常ドアがあり、非常階段が外側についている。
 
 
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