官能小説販売サイト 一条きらら 『惑溺』
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一条きらら   惑溺

目 次
背徳の悶え
不倫妻の決意
魅せられた肉体
快楽の企み
欲望に悶える女
覗かれた淫戯
令夫人の悶え
淫ら妻の肌

(C)Kirara Ichijo

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   背徳の悶え

     1

 奈々恵はソファにもたれて、ぼんやりテレビを眺めていた。クイズ番組である。じっくりと見たいほど、面白いわけではなかった。だから見ているというより、何となく眺めているだけだった。
 ふと視線を、テレビの画面から、壁にかけた時計に移す。午後八時を、過ぎたばかりだった。
(典之さん、早く帰って来ないかしら……)
 開業歯科医の典之が帰宅するのは、八時半から九時の間である。それから、食事を共にする。食卓は調ととのえてあり、あとは夫が帰宅するのを待つだけだった。
 奈々恵は三十二歳、典之は三十五歳、結婚して一年二カ月である。まだ新婚といっていい時期だが、夫の帰宅が待ち遠しいのは、恋愛感情からではなかった。一人でいると寂しいというより、ある想いにとらわれて情緒不安定気味になるからだった。
(今でも、彼のことが忘れられない……)
 一日に何度も、そうつぶやいてしまう。周囲から祝福された結婚をし、ヨーロッパへ新婚旅行に行き、歯科医の夫と暮らす港区白金台の家は、この上なく快適だというのに――。
(ううん、忘れなくちゃ。現在のあたしは、典之さんの奥さんなんだもの)
 奈々恵は自分に、そう言い聞かせる。テレビをつけたまま、マガジンラックから女性向けの雑誌を手にとって、膝の上で広げる。ゆっくりページをめくっていく手が、ふと止まった。
 ――新妻の十人に一人は、結婚しても過去の男を愛している――
 そんな文章が奈々恵の目に飛び込んできた。
(十人に一人……!)
 自分が、その一人なのだと小さなショックを受けた。どんな統計で十人に一人という数字が出たのかは不明だが、そんなことはどうでもよかった。結婚したばかりなのに、過去の男が忘れられない妻は、自分だけではないのだと小さな驚きがあった。
 世の中の十人に一人の夫は、結婚生活がスタートした時点で、もう妻に裏切られていることになる。もちろん精神的にだけれど……。
(ううん、あたしは、違うわ)
 雑誌をバサリと閉じて奈々恵は胸の中で呟く。夫と一緒にいる時には、過去なんて忘れていられるのだ。歯科医の夫を尊敬しているし、好きだし、彼の妻であることに喜びを感じる。激しい恋愛をしたわけではないが、プロポーズされた自分は幸せだと思う。
 けれど、一人でいる時には過去がよみがえり、どうしたらいいかわからないほど、情緒不安定になってしまうのだった。
 テレビを消そうとして、奈々恵はリモコンを手にした。何となくチャンネルを換えながら画面に眼をやった瞬間、
「あっ」
 と奈々恵は小さく呟いた。《ホームレスの実態》と画面の隅にスーパーの文字が出ていて、ホームレスらしい男がレポーターからインタビューされているところだった。そのボサボサ髪の中年ホームレスの顔が、間宮圭一に似ていた。
(まさか……!)
 と一瞬ドキリとしたものの、すぐに間宮圭一ではないとわかった。奈々恵は思わず吐息をついて、リモコンでテレビを消した。
 二階の寝室へ上がって、ドレッサーの前に坐り、セミロングの髪にブラシを軽く入れる。
 そして花柄のしゅうのカバーで覆ったダブルベッドの上に、腰を下ろす。ワインカラーのビロードのカーテンも、同系色のカーペットも、フロアスタンドやウォールライトも、見るからに高価で華やかで新婚家庭の甘さの漂う部屋になっている。
 それなのに――。奈々恵はこのベッドで、夫に抱かれて甘美な夜を過ごしたことはなかった。我を忘れるほどの肉体の陶酔を、味わったことが一度もないのだ。
(でも、不満なんかないわ……)
 週に二度は、夫に身体を求められる。一時間ぐらいセックスして、夫は満足気に、眠りに落ちる。奈々恵も、ホッとしたような安らぎに包まれて眠りにつく。
 この結婚生活は幸福なのだと奈々恵は自分に言い聞かせて、寝室を出た。
 階段を降り始めると、リビングで電話が鳴った。
(典之さんかしら)
 今夜は外食しよう、と奈々恵を誘い出すことがある。奈々恵はそんな時、夕食の用意がしてあることは口にしないで素直に応じる。
 典之は少し自分勝手で気紛れな一面があるのだ。彼の妻でいる以上、合わせなくてはならないと奈々恵は思っていた。
 ベルの鳴り続ける電話に走り寄って、受話器をはずす。夫かもしれないと思い、ナンバー・ディスプレイを見ることもなかった。
「はい、正木でございます」
 甘くしとやかな声で奈々恵は応じた。
「フッフッフ、気取った声を出すじゃないか、奈々恵」
 電話の向こうで、男が皮肉っぽく笑った。間宮圭一の声だった。奈々恵は愕然となって、頭から血の気が引いた。
「久しぶりだな、おれだ、わかるだろう?」
 間宮圭一が、半ば後ろめたそうな口調で言った。奈々恵は顔をこわばらせ、黙り込んでいた。
「明日、会いたいんだ。奈々恵、頼む、会ってくれ。別に何も要求するわけじゃない。だから警戒しないで、気軽に、友達みたいな感じで、喫茶店で会ってコーヒーでも飲もうじゃないか」
 奈々恵は、押し黙ったまま、受話器を固く握り締めた。
「コーヒーぐらい、おごれるよ。奈々恵が思ってるほど、落ちぶれたわけじゃない」
 奈々恵は、ゆっくり目を閉じた。ついさっきテレビで見た、ホームレスの男が、間宮圭一に重なる。家族も仕事も失った孤独で哀れな中年男の姿……。
 
 
 
 
〜〜『惑溺』(一条きらら)〜〜
 
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