官能小説販売サイト 一条きらら 『燃えつきるまで』
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一条きらら   燃えつきるまで

目 次
第一章 めぐり逢い
第二章 一途な恋
第三章 翳りある男
第四章 プロポーズ
第五章 揺れる女心
第六章 小さな生命いのち
第七章 別れの予感
第八章 輝く朝

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   第一章 めぐり逢い

     1

 遠くで、ベルが鳴っていた。
 眠りの底から少しだけ浮かび上がって、
(しつこい電話……)
 おぼろげな意識の中で、章子はそう思いながら、ふたたび快い睡魔に引き込まれていった。
 それからしばらくして、ベルが執拗に鳴り続けているのを耳にした章子は、ベッドの外へ右手を伸ばして、手探りで受話器を取った。
 緩慢なしぐさで受話器を耳にあてるが、ベルの音は鳴り続けている。
(え……?)
 章子は眠そうに目を開けた。鳴っていたのは電話ではなく、目覚まし時計のベルだった。
 受話器をかけて、その傍の目覚まし時計を手に取ってベルを止めた。針は一時を指している。午前ではなく、午後である。
 寝る時に合わせておいたのは十二時だから、一時間もベルは鳴り続けていたわけだ。その時計はスイッチを押すまでベルが鳴り続けるのだ。
 章子はあわててベッドから起きた。針を合わせた十二時でもギリギリのはずだった。今朝は六時まで仕事をしていたのだ。できるだけたっぷり寝たい、と思ったからだ。
 パジャマ姿のまま、章子は隣室のリビングから廊下へ出て、右側の部屋のドアをあわただしくノックし、ノブをつかんでドアを開けた。
「トオル、起きて。大変、寝坊しちゃった。ねえ、どうしよう」
 昂奮した口調で言い、ドアを開け放しておいて、洗面台に向った。歯ブラシを口に入れながら、鏡の中を覗き込む。
(シャンプーする暇ないわ)
 パーマのかかったセミロングの髪が、クシャクシャに乱れている。二重瞼の目は腫れぼったく、寝起きなので頬に赤味がさしていた。素顔だと、あどけない童顔になる。切れ長のパッチリした大きな目が、チャームポイントだった。
(お化粧すれば、バッチリ、いい女になるんだけどナ)
 長いまつげをパチパチさせて、妖艶な表情を作ってみる。が、歯ブラシをくわえているので、サマにならない。
 真木章子、二十八歳、少女漫画家である。デビューは六年前。少女マンガ雑誌『NANA』に発表した「闇の中のスタールビー」で、新人賞を獲得した。現在、月刊誌二本、週刊誌一本に連載中で、単行本は四十五冊になった。作品の特徴は、ノスタルジックな画風と、サスペンスタッチのストーリー性、主人公の心情表現の細やかさだった。
 作品が売れるだけでなく、美人漫画家としても評判で、婦人雑誌やサラリーマン向けの週刊誌などのグラビア、インタビューなどにもたびたび顔を出す。
 けれども、マスコミに乗って浮かれているわけではない。有名になることが、章子の人生目標ではないからだ。
「世間に見せる私の顔は仮面。本当の私は、漫画に取りつかれた孤独な女」
 などと、チーフアシスタントの和田亜由子含めスタッフたちに、やや演技的な表情で呟いてみせるのだ。
 章子の内面を一番よく知っているのは、小関透かもしれない。もう四年近くになる付き合いなのだから。
 顔を洗った章子は、透の部屋を覗いた。
「ねえ、トオル……」
「起きてますよ」
 いつものように、透は蒲団に腹這いになって、煙草を吸っている。
「コーヒーいれましょうか? それにトーストとハムエッグ。寝起きのマッサージは、しなくていいのかな」
「何言ってるの、バカね」
 章子はベッドルームへ行って、スーツケースを出し、荷物を詰め込んだ。パーティー用のドレス、カメラ、化粧品……。
 ふと、あたりの物音が静かなことに気づいた。章子は窓へ歩み寄ってカーテンを開けた。道路を走る車の音がいつもより静かだった。よく見ると、細かな雨が降っていた。
(ジューン・ブライド、か……)
 また急いで、スーツケースに詰め込む作業をした。六月二十五日である。今日から三日間、京都へ行くのだ。明日の友人の結婚式に出席するためだった。
 キッチンの方から透が呼んだ。章子はあわただしくスーツケースをリビングに運んだ。リビングとダイニングキッチンはひと続きになっていて、二十畳ほどの広さである。ダイニングテーブルの椅子に章子は腰を下ろして、吐息をついた。
「雨が降ってるのよ。だから起きられなかったんだわ」
「低血圧と雨って、本当に関係あるのかな」
 ペーパーフィルターでいれたコーヒーを、透が二つのカップに注ぎ入れた。芳しいコーヒーの香りに、目が覚める思いがした。
 ミルクだけ入れて、章子はカップを口に運んだ。
「食欲ないから、トーストはいらないわ」
「おなか、すくぞ」
「寝不足だと食欲ないの、知ってるでしょ」
 章子は九時間睡眠をとらないと、身体がもたない。というより精神状態かもしれない。仕事のストレスも悩みも、たっぷり眠ることで救われているのだ。お子様並みの睡眠時間、と皆に冷やかされる。
「あっ、もうこんな時間。大変、ねえ、どうしよう、間に合うかしら」
 音を立てて椅子から立ち、章子はベッドルームへ行った。ドレッサーのスツールに坐り、薄くファンデーションを塗って、オレンジの口紅をつける。髪にブラシを入れ、スツールから立ってせわしく服に着換える。
 ノースリーブの、衿の大きく開いたブルーのワンピース。白のジャケットを羽織り、サングラスをかける。
「用意できたわ」
 声を張り上げながら部屋を出て、スーツケースとハンドバッグを手に、玄関に向った。車のキーを手にした透が、玄関の壁に寄りかかって朝刊を、広げていた。
「早く、ねえ、のんびり新聞なんか……」
「スリッパで出かけるのかい?」
「あっ、靴。あたしの靴、どこ」
 ようやくバッグに合わせた白い靴を穿いて、章子は思わず吐息をついた。

     2

 四谷のマンションから、透の運転する車で送ってもらって、東京駅に着いたのが午後二時半。乗車券はすでに買ってある。
 東京発十四時四十七分の新幹線ひかりは、十六番線のホームだった。グリーン車は十二号車である。車内に入って、座席番号を確かめて、章子はスーツケースをあみ棚に置き、腰を下ろした。窓側の席ではなかった。
 少しして、一人の男が現われた。
「失礼」
 と章子に声をかけて、男は窓側のシートに腰を下ろした。章子は何となく、胸の奥がときめいた。紺のスーツを着たその男は、三十五、六だろうか、端整な容貌をしている。スタイルもいい。
(ついてるわ)
 思わず微笑が湧く。どうせ隣席同士になるのなら、やはり素敵な男がいい。男が、美人の隣に坐りたい、と思うのと同じ心理である。
 といっても、別に言葉を交わしたい、とか、知り合いになりたいなどと、具体的にそこまで考えたわけではなかった。章子はおそらく、ここちよい車両の振動で、眠ってしまうだろう。どこまで一緒かはわからないが、それでも美男子の隣に坐っているというだけで気分が良かった。
 間もなく、〈ひかり〉三〇九号はホームを静かに離れた。章子は窓外に眼を向けた。さり気なく、男の顔に視線を走らせる。
 男は週刊誌を読んでいた。真剣な眼つきで、記事を読んでいる。その横顔には、男の厳しさと、甘さも漂っていた。男は章子の視線を、ちょっと意識したような表情になり、上着のポケットから煙草を出し、金色のライターで火をつけた。
 章子はふたたび、窓外に視線を向けた。雨に煙った、灰色の風景を見つめていると、ふと、透の顔が浮かんだ。
 小関透は、フリーの山岳カメラマンだった。章子と同い年の二十八歳である。
 透は時々、章子のマンションに泊りに来る。二、三日だけで帰ることもあれば、一週間ぐらい泊ることもあった。半同棲、といった関係が、もう三年も続いていた。
 今日から章子は留守にするので、透は下北沢のアパートに帰るはずだった。二十九日から、長野の北アルプスへ写真を撮りに行くと言っていた。
 昨夜も、一昨夜も透は泊っていたのだが、男女の行為はしなかった。もっとも、夜とは限らず、午前中や昼のこともあった。
(寝起きのマッサージだなんて……)
 透は時々、そんな言い方で章子を求める。今日から章子は京都で、月末からは自分が長野へ行くので、当分、会えなくなる。それで、今日、出かける前に章子の身体を求めるつもりだったのかもしれない、と章子は今になって気づいた。
 小関透は章子にとって、肉親のような存在だった。アシスタントの亜由子などは、
「早く夫婦になっちゃいなさいよ」
 などと冷やかすのだが、結婚はいつでもできる、と章子は思っていた。そして結婚の相手は透、と決めていた。
「席を替りましょうか」
 ふいに、窓ぎわの男が言った。章子はパッと顔を赤らめた。
「あら、いいえ、けっこうですわ」
「いえ、替りましょう」
 男は腰を浮かせた。せっかくの好意だから、と章子は礼を言って替った。
(私がずっと窓の外ばかり見ていたこと、気づいてたんだわ)
 窓外を走る風景は相変らず雨に煙っている。単調な景色を眺めているのではなく、何か考え事をしているらしいと男は思ったに違いない。
 男は新たな週刊誌を広げた。サラリーマン向けの雑誌をまとめて買い込んだものらしい。
 車内販売のワゴンが通りかかった。空腹だったので章子はサンドイッチと缶コーヒーを買った。男は缶ビールを買った。
 シートはゆったりしているものの、胸をときめかせるほどのハンサムな男の傍でサンドイッチを食べるのが、章子は何となく恥ずかしかった。
 それで、緊張して缶コーヒーのつまみを引いた時、
「あっ」
 と思わず小さく叫んだ。コーヒーがうっかり男のズボンの裾にかかってしまったのだ。
「すみません。私ったら、そそっかしくて」
 あわててバッグからハンカチを出したものの、男のズボンの裾に手を触れるのはためらわれる。
「あの、これをお使い下さい」
「いや、けっこうです」
 男はちょっと眉をひそめたが、自分でハンカチを出してズボンの裾を拭いた。
「本当に、すみません」
「いや、いいんです」
「あのう、クリーニング代、出させて下さい」
 こうして、思いがけなく、男と口をきくきっかけができたことを、章子は心の底で喜んでいた。京都まで、退屈しなくてすみそうである。が、男は途中で降りるのかもしれない。
「どちらまで、いらっしゃるんですか?」
 と章子は、自分と話すつもりでか週刊誌から顔を上げている男に訊いた。
「京都です」
 と男が答えた。
「あら、同じですわ」
 章子はうれしそうな声をあげた。
 
 
 
 
〜〜『燃えつきるまで』(一条きらら)〜〜
 
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