官能小説販売サイト 南里征典 『官能病棟』
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南里征典    官能病棟

目 次
第一章 凌辱の夜
第二章 脅迫電話
第三章 医の巨塔
第四章 黒い罠
第五章 院長夫人の誘拐
第六章 夜の病棟
第七章 巨悪の追撃
第八章 淑女の謝肉祭

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   第一章 凌辱の夜

     1

 到着早々に、悪い知らせが待っていた。
「貴船様でいらっしゃいますね?」
「はい、そうですが」
「メッセージが届いております」
 チェックインの手続きをしようとしたホテルのカウンターで、涼子はメッセージを渡されたのであった。
「ありがとう」
 すぐその場で開くと、メッセージは貴船謙介からのもので、『急用が出来たので修善寺到着が大幅に遅れそうです。部屋に落着きしだい大至急、電話を下さい』というものであった。
(あらあら、失礼しちゃうわ。電話下さい、ということは、貴船はまだ東京にいるということかしら……?)
 涼子は微かな落胆の気分を味わい、いささか腹も立ち、どうにも収まりのつかない気分で、一応、ホテルのチェックインの手続きだけは済ませた。
 涼子の本名は、宮永涼子である。
 けれども、ホテルのチェックイン・カードには、貴船涼子、と記入した。
 修善寺のその和風観光ホテルは、貴船謙介が事前に予約していたものであり、二人は不倫の密会旅行ではなく、夫婦旅行を装って泊まることにしていたからであった。
 涼子は書き終えたカードを差しだしながら、「今のメッセージ、いつ頃、着いたのでしょう?」
 と、正面のフロントマンに聞いてみた。
「はい、一時間ぐらい前だったでしょうか。こちらに直接、お電話をいただきまして、その旨、お客様にメッセージを渡していただきたい、ということでした」
「電話は、貴船本人だったのでしょうか?」
「男の方でございました。多分、ご本人だったと思いますが」
「そうですか。ありがとう」
(いずれにしても、事情は貴船に電話をして確かめるしかないわ。それにしても、私を一人、修善寺の温泉ホテルに放っぽりだしにして大幅に遅れるなんて、失礼しちゃうわ……)
 宮永涼子が、気を取り直してスーツケースを持ちあげ、エレベーターのほうに歩きだそうとした時、
「あ、ご案内いたします。どうぞ、こちらです」
 老番頭ふうの、ホテルのはっを着た男が、横あいから急いでやってきてスーツケースを取り上げ、荷物を持って先に歩きながら、部屋のほうへ案内する。
 その観光温泉ホテル「夕霧荘」は、修善寺でも上流の北又川の畔にある。外観はグランドホテルふうだが、内部は純和風で、どこからでもせせらぎの音と滝の音が聞こえてきそうな構造で、客室は多かった。
 涼子が案内された部屋は、二階でエレベーターを降りて、山の手のほうへ長い廊下を渡った別館の離れであった。
 ホテルの背後が、見晴山の斜面に接していて、その斜面をそっくり利用して、築山や池のある庭園が作られ、数寄屋造りの離れが作られていた。
 部屋は、八畳の和室と四畳半の控えの間があり、木の香りと畳の香りがして、素晴らしい。離れ自体で独立した化粧室もついていて、バス、トイレもあれば、庭に出ると渓流に面した露天風呂にも降りられるようであった。
「今、仲居がお茶を運んで参ります。ご用がありましたら、どうぞ床の間の電話で、フロントにお申し付け下さい」
 案内してきた法被の男は、控えの間に荷物を置くと、
「どうぞ。ごゆっくりおすごし下さい」
 恭しく一礼して、立ち去る。
 男が去ってしまうと、あたりが急に静かになったようで、渓流の音だけが高くなった。
 通された部屋が予想以上に落着いていて、素晴らしかったので、涼子は少し機嫌を直し、床の間の受話器を取りあげた。
 ゼロを一回プッシュし、それから東京の市外局番と貴船謙介の会社の電話番号をプッシュする。
「日本メディカル機器販売KK」の本社は、新橋にある。貴船謙介は、その会社の取締役営業部長をしていた。
 まだ四十そこそこで、営業課長から一挙、取締役営業部長に昇進しているのだから、相当のやり手ではある。
「はい。日本メディカル……」
 交換が出たので、
「貴船さん、お願いします」
「失礼ですが、おたくさまは?」
「宮永といいます」
 電話はすぐに貴船にまわされた。
「……やあやあ、涼子さん、ごめん」
 いきなり、大きな声で言えるのも、取締役ともなると大部屋ではなく、かなり立派な個室が与えられているからであろうか。
「急にアメリカから取引先の重役が参りましてね。緊急会議や商談や接待やで、今日は朝からてんてこ舞いなんです。あなたとの予定が狂っちゃって、本当に申し訳ないと思ってます」
「遅れる、とメッセージにあったけど、何時頃、来れるの?」
 宮永涼子は、高飛車に訊いた。
 年齢は貴船のほうがずっと上だが、涼子は大病院の院長夫人なので、貴船からみるとお顧客とくい様筋にあたり、ふだん、涼子のほうがやや生意気な言葉使いをしているのは、事実である。
「もう、夕暮れに近いわ。今頃まだ東京にいるんじゃ、今日中にこちらに着けるの?」
「はい、それが……」
 貴船は困ったように言い淀み、「実は……今も話しましたように、アメリカのその重役とね。CTスキャナーや胆道ファイバースコープなど、輸入機器のことでちょっと混み入った話になってましてね。今夜も打ち合わせと接待で、赤坂の料亭に繰りださなくちゃならなくなったんです……」
「と、いうことは、今日はもう修善寺には来れない、というわけね?」
 涼子が畳みかけると、
「はい……正直に言って、そういう状態になりました。申し訳ありません。この償いはまた改めて、幾重にもいたしますから、今日のところはなんとか」
 生真面目な貴船謙介が、電話口で冷や汗を流して謝っている姿が、手に取るようにわかった。
 もっといじめてやろうか、と涼子は思ったが、それも大人気ないと思い直し、
「いいわ。お仕事なら、仕方がありません。そのかわり、私を修善寺くんだりで一人ぼっちにした償いは、高くつきますから覚えてらっしゃい!」
「はい。……もう二度と、涼子さんに淋しい思いはさせませんから」
「きっとよ。女の恨みは執念深い、と言いますからね」
「はい、はい。……それより、そこはとってもいいホテルでしょ。たまには涼子さんも一人でゆっくり羽根をのばして、生命の洗濯でもして下さいよ」
 電話は何ともはや、奇妙なやりとりで終わって、受話器を置いた時、涼子はひどく疲れたような不機嫌な、淋しい気持ちに陥った。
 淋しいし、虚しいし、腹立たしい。じっさい、私、何のために伊豆の修善寺までのこのこ、来たのかしら……と、自問しつつ、涼子は縁側に立って、昏れなずむ伊豆の山々を眺めていた。
 いっそこのまま、ホテルをキャンセルして、荷物をまとめて引き揚げようかという思いさえ、ちらと脳裡を掠めた。
 だいたい、今度の旅行の計画を言いだしたのは、貴船のほうなのである。
「来週の金曜、土曜はご主人、学会で京都でしょ。どうです、修善寺にいい温泉ホテルがあります。今ならゴールデンウィーク前で、予約が利くようです。たまには、ちょっと遠出してみませんか」
 一週間前、銀座の行きつけのフランス料理の店で食事をしている時、貴船のほうから、そう切りだしたのであった。
 貴船が言うとおり、四月の第三週の金、土曜日は、夫の将之介は学会で京都に行くことになっていて、留守になる。医学界や医業界のことをよく知っている医療機器販売会社の営業部長なので、貴船は大病院の院長である宮永将之介のことも、また涼子との夫婦仲のこともよく知っていて、それで気晴らしの週末旅行を焚きつけたのであった。
「人妻の一泊二日を、そそのかすわけ?」
「あ、それって、トレンディだというでしょう。人妻の一泊二日。いつも都心部のホテルやマンションであわただしい密会時間をすごすのは、何とも味気ない。申し訳ないとも思っています。たまにはのんびり、湯煙りの里で温泉にでもつかってグルメしにゆきましょうよ」
「そうね。温泉ねえ……いいなあ」
 涼子は頬杖をついて憧れるように言い、
「いいわ。スケジュールはみんなお委せしますから、段取りをつけて下さい」
 思い切って、そう言った。
 そうして四月十六日金曜日の午後一時、東京駅の八重洲口にある銀の鈴の下で落ちあい、新幹線を使って三島経由で修善寺を訪れることになったのであった。
 ところが、その銀の鈴の下に約束の時間になっても、貴船は現われなかった。伝言板に、『急用ができたので、ちょっと遅れます。夕方までには着くと思いますから、修善寺には先に行ってて下さい』
 というメッセージが書かれていたのである。
 少しがっかりしたが、グリーン券などの切符は先に郵送で送付して貰っていたので、涼子は気軽に一人旅をしてきたのであった。
 どうせ落着き先の宿は、決まっている。
 不倫カップルの場合、現地で直接、落ち合うという忍び逢いのケースも最近は、多いのである。
 それを考えると、一人で先に行くのも案外、風情もある。
 涼子はそんなふうに考えて、修善寺までは浮き浮きした気分で、やって来たのである。
(それなのに……貴船ったら……)
 私をすっぽかすなんて、許せないわ……!
 今度、会った時は、うんと取っちめてあげよう……。
 涼子がぷりぷりしながら、そんなことを心の中で呟いている時、
「いらっしゃいませ」
 控えの間のドアがひらいて、仲居が茶を運んできた。
「あら、お連れさまはご一緒じゃないんですか」
「ええ、そうなのよ。主人ったら、会社の仕事が出来たので、来れなくなった、というのよ。頭にきちゃう!」
 涼子は貞淑な、でもちょっとばかりわがままで、やんちゃな若夫人のような口調で、そう言った。
 貴船との不倫さえ省けば、宮永涼子の印象は、だいたいそんなところである。
「あら、そうですか。それはようございましたわね。手のかかる大きな子供の面倒が省けて、奥様だけ、少し羽根をのばされればよろしいじゃありませんか」
「そうねえ。面倒が省けて、よかったのかしら」
「そうでございますとも。最近は女性同士のグループとか、奥様だけの一人旅だって、けっこう多いんですよ」
「へええ、そうなのう。女の一人旅って、旅館ではどこでもけむたがられる、と聞いてたけど」
「それは人様によりますよ。奥様のようにお品があって、お美しくて明るい方なら、旅館はちっとも、あやしみはいたしません」
 仲居はそう言いながら、「あ、お茶、そちらにお運びしましょうか。ごめんなさい、気がつかずに」
 数寄屋造りではあるが、庭に面した縁側には、広いガラス戸の内側に、サンルームを兼ねた板張りの廊下があり、そこに籐製のソファと椅子のセットが置いてある。
 涼子は今、その籐椅子に一人で座り、昏れなずむ山々や、庭を眺めていたのであった。
「ああ……いい夕暮れね。そうね、あなたがおっしゃるように、生命の洗濯でもしようかしら」
「そうですよ。女が上げ膳下げ膳しなくていい、というのは、何といっても極楽ですから。あ、そうそう……そこの庭から石段を降りてゆくと、渓流の傍に露天風呂もございます。外はまだちょっと寒いかもしれませんが、湯温は高うございますから、気持ちのいいものですよ」
 仲居はそう言いながら、縁側のほうのテーブルに茶菓を置き、食事の時間を尋ねた。
 涼子は、七時、と答えた。
 こういうところでは、だいたい、七時頃だろう、と見当をつけたのである。
「露天風呂って、女性専用のがあるの?」
「いいえ、混浴でございます。それがうちの名物でして、とても人気があるんですよ」
「やだあ、混浴だなんて。私、水着、持ってきてないもの」
「露天風呂に入るのに、水着を着るというのは、あまり感心しませんわ。今日はどこかの銀行の団体さんが一組お見えになっているだけで、わりと空いていますから大丈夫、お一人でごゆっくり入れると思いますよ」
「そう。一人ならいいけど」
「それとも、せっかくご主人から解放されてらっしゃるのですから、たまには羽根をのばして、男釣りでもなさってはいかがですか」
「ええーっ? 男釣りィ……?」
「えーえ、そうでございますとも。そこの露天風呂でね。時々、奇特なカップルが結ばれて、誕生したりするんですのよ」
「まっさかあ……冗談でしょう」
 私なんか、そんなお軽い女じゃないわ、と涼子が真顔で怒りかけると、中年の仲居は眼を細めて、ころころと笑い、
「じゃ、ごゆっくり、おすごし下さい。七時にお食事をお持ちします」
 そう言って、切れ味よく立ちあがって、もう部屋を辞していた。
 
 
 
 
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